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【ふわっち】ぬん

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1564: 2023/09/26 00:19
9月26日は「ワープロ記念日」です。1978年9月26日、世界ではじめて日本語のワープロ(ワードプロセッサ)が発表されたことで、記念日として制定されました。
世界発の日本語ワープロを商品化したのは、電機メーカーである株式会社東芝です。「かな漢字変化」を搭載し、簡単に日本語入力ができる仕様を採用した画期的な電機でした。
現代のPCとは異なり、机と一体化した形状で、重さは約220kg。630万円という高額な販売価格でしたが、その後徐々に低価格化が進み、ポータブルなワープロも多数登場しました。
PCが一般的となった現在では「ワープロ記念日」に関するイベント・キャンペーンは見られませんが、文書作成ソフトやPCのサービスに絡めた広報PR活動に有用な記念日といえるでしょう。

1565: 2023/09/26 00:19
「ワープロ記念日」は、メディアがトレンドとして取り上げやすいテーマです。プレスリリースを始め、「ワープロ記念日」に関する自社の取り組みを発信することで、普段は接点が少ないメディアの目にも届く可能性が高まります。
特にSNSの場合、時節やトレンドにあった内容は、企業アカウントの投稿も受け入れられやすいもの。「ワープロ記念日」をネタにした投稿は、ステークホルダーとのコミュニケーションを取りやすく、自社に親しみをもってもらえるきっかけになります。
自社プロダクトやキャンペーン、自社の取り組みなどを合わせて紹介することで、より自社のことを知ってもらえるチャンスが生まれるでしょう。

1566: 2023/09/26 00:20
本日9月26日は「ワープロ記念日」。1978年9月26日に、世界初の日本語ワードプロセッサ「JW-10」が東芝より発表されたことを記念して制定されている。

 ワープロすなわち「ワードプロセッサ」は、日本語文書の作成、印刷、保存に特化した機械。従来は和文タイプライターが日本では用いられていたが、1978年9月26日に、「JW-10」が東芝より発表され、即日データショーにおいてデモ展示された。“かな漢字変換”を搭載することで、日本語入力を容易にし、同時にデジタルでの文書保存を可能としたのが特徴だ。JW-10は、当時の価格で630万円。重さは220kgあり机と一体化していた。

1567: 2023/09/26 00:21
その後ワープロ専用機は、他の複数メーカーからも販売されるようになり、一般消費者による購入が加速。価格が下がるとともにポータブル化も進み、一時代を築いていった。しかし90年代に入りパーソナルコンピュータ+プリンターという組み合わせが普及することで徐々に淘汰され、現在では失われた家電となってしまった。現在のワープロは、パソコンのアプリケーションとして、リアルなプロダクトでなく残っているのみだ。

1568: 2023/09/26 18:26
ニッシーがこいつを捨てた意味わかるだろ?

1569: 2023/09/26 19:06
みゃおちが言ってたのこの子?

1570: 2023/09/26 20:00
現代の日本において「お彼岸」とは、年に2回、3月の春彼岸と9月の秋彼岸に、お墓参りやお供えをすることでご先祖様を供養する日を意味します。「国民の祝日に関する法律」ではそれぞれ国民の祝日と定められ、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日とされています。
「お彼岸」という言葉は、もともとは仏教の「到彼岸(とうひがん)」という教えに由来し、煩悩や迷いの多い此岸(現世)から悟りの世界である彼岸(あの世)へと至ること、またそのための修行を指します。「到彼岸」とは古代インドで用いられていたサンスクリット語「paramita(パーラミタ)」の翻訳で、文字通り「彼岸(パーラム)」に到達する(イタ)という意味。外来語を日本の文字で書き起こした音写語では「波羅蜜多(はらみった)」とも呼ばれており、こちらの方が馴染みがある方もおられるでしょう。

1571: 2023/09/26 20:01
「春分」とは太陽が春分点を通過することで、その瞬間を含む日を暦上の「春分の日」と呼びます。同様に、「秋分」は太陽が秋分点を通過し、その瞬間が含まれる日が「秋分の日」と呼ばれています。これらは太陽の動きによって決まるため、年によって変動があり、日本では3月20日と21日のどちらかが春分になります。秋分の日はは9月23日になることが多いのですが、まれに9月22日が秋分の日になる年もあります。

春のお彼岸とは、この春分を中心とした前後3日を含む合計7日間。秋のお彼岸は、秋分を中心にした3日間を含む合計7日間を指します。

1572: 2023/09/26 21:15
1887年1月28日に起工式が行われ、エッフェル塔建設が開始された[9]。まず基礎工事が開始され、潜函工法によって6月11日には基礎が完成した。ついで4本の脚から塔本体の建設が始まり、1888年3月には1階の展望台が完成して4本の脚がつながった[10]。同年8月14日には2階展望台が完成し[11]、1889年2月24日には3階展望台の工事が着工[12]。1889年3月30日には竣工した[13]。3月31日には首相ピエール・ティラールらを招いて竣工式が行われた[14]。竣工式でエッフェルは自らの手で先端にフランス国旗を掲げ、「300メートルの旗竿に国旗を掲げる唯一の国」と語った[4]。

1573: 2023/09/26 21:15
建設は万博に間に合わせるため2年2カ月5日という驚異的な速さで完成した[4][15]。5300枚のデッサンを描いて、1万8000の部品を工場で生産して送り出し、常時150〜300人が現場で組み立てるプレハブ工法を採用した[4]。またエッフェルは熟練作業員による少数精鋭主義をとるとともに工事中の安全対策には特に注意を払い、工事期間中の死者は1人にとどまった[16]。総工費は650万フランであった[17]。

1574: 2023/09/26 21:15
後世では「鉄の貴婦人(La Dame de fer)」と称えられる[4]エッフェル塔であるが、建設当時としては奇抜な外見のため、賛否両論に分かれた。1887年2月には、建設反対派の芸術家たちが連名で陳情書を提出している[18]。反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったが[19]、その理由として「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っている。ここから、「エッフェル塔が嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれた。

1575: 2023/09/26 21:16
1889年5月6日に開幕したパリ万博においてエッフェル塔は目玉となり、パリのみならず世界中から観光客が押し寄せた。ただし開幕時にはいまだエレベーターが完成しておらず、エッフェルがエレベーターなしでの一般公開に反対したこともあって、観光客の入場はできなかった[20]。エレベーター自体は5月15日に完成したものの、テストが必要なためしばらく商業運行は不可能だった。しかし来場者や市民からの不満の声が高まったため、同日エッフェルは塔の一般公開に踏み切り、観光客は階段で展望台へと向かった[21]。エレベーター運行までの9日間にエッフェル塔に入場し、1,710段の階段を昇った入場客の数は約30,000人にのぼった[22]。エレベーターは5月26日に運行を開始した[23]。エレベーター料金は1階までが2フラン、2階までが3フラン、最上階までが5フラン、日曜日は半額となっていた[24]。

1576: 2023/09/26 21:16
展望台の上にある塔の最上階には来客用のサロンを備えたエッフェルの小さな私室が設けられた。この私室は現在では一般公開されており、当時の内装がそのまま保存され、またエッフェルおよび著名なゲストたちを模したマネキン人形が展示されている[25]。私室の隣には、様々な実験を行うための研究室も設けられた。この研究室においては、気象観測や空気抵抗の実験などが行われていた[26]。

1577: 2023/09/26 21:16
万博の会期中には、2階に『フィガロ』紙の編集室と印刷機が設けられ、毎日『Le Figaro de la Tour(フィガロ・エッフェル塔版)』を発行していた[23]。会期中にエッフェル塔を訪れた著名人としては、イギリス皇太子であるエドワード王子や、大女優サラ・ベルナール、バッファロー・ビル(彼の『ワイルド・ウェスト・ショー』は博覧会の目玉の一つだった)、トーマス・エジソンなどがいた[22]。

1578: 2023/09/26 21:17
エッフェルはエジソンを塔最上階の私室に招き、エジソンは彼の発明した蓄音機をエッフェルへと贈った。これはこの博覧会におけるハイライトの一つだった[27]。塔の1階にはフランス料理、フランドル料理、ロシア料理の3軒のレストランおよびアングロ・アメリカン・バーが設けられていた。

エッフェル塔は大盛況となり、11月8日の博覧会終了までの入場者数は1,896,987人[28]、1889年の入場者数は200万人を記録した[29]。

1579: 2023/09/26 21:18
万博終了後、エッフェル塔の来訪者は減少していったが、なおも年間10万から20万人台の入場者数は保っていた。1900年に再度パリで万国博覧会が開催されることが決定すると、エッフェル塔は再び万博のパビリオンとして多くの観光客を集めたが、その後の入場者数は低迷を続けた。こうしたことから、塔の権利がパリ市に移る1909年には解体されることが確実視されていた。しかし1904年、フランス軍で通信を担当していたギュスターヴ・フェリエが軍事用の無線電波をエッフェル塔で送受信することを提案し、そのため国防上重要な建築物ということで、取り壊しを免れることとなった。この電波塔としての役割は非常に重要なもので、現代に至るまでエッフェル塔の主目的の一つとなっている。

1580: 2023/09/26 21:19
第一次世界大戦が始まると、エッフェル塔の入場は1915年から1919年まで中止された。大戦中には塔からジャミングを出して、ドイツ帝国軍を悩ませた。1919年に大戦が終わると入場は再開され、1921年にはエッフェル塔からラジオ放送が開始された。1925年にはシトロエンがエッフェル塔に巨大な照明看板を出し、1936年までの11年間この広告は続いた[30]。1930年にはアメリカのニューヨークでクライスラー・ビルディングが完成し、エッフェル塔は世界一高い建造物の地位を失った[31]。第二次世界大戦が始まり、1940年にパリがナチス・ドイツによって占領されるとエッフェル塔も閉鎖された。パリの解放(1944年)後、塔は入場を再開した。2002年11月28日にはエッフェル塔の通算入場者数が2億人に達した[32]。

1581: 2023/09/26 21:19
2011年12月に日刊紙『フィガロ』で、建築家グループが期間限定で塔を樹木で覆う緑化計画を立てていると報道されたが、パリ市や塔運営会社は否定している[33]。

1582: 2023/09/26 21:20
エッフェル塔は鋼製ではなく、鋼よりも炭素含有量が少なく、強度の低い錬鉄でできている[34]。エッフェル塔本体の錬鉄の重さは7,300トンで[35]、これにエレベーターや店舗、アンテナを加えた総重量は約10,100トンとなっている[36]。展望台は簡単な柵あるいは金網が設置されているだけの吹きさらしである。展望台は3つあり、高さは第1展望台が57.6m、第2展望台が115.7m、最も高い第3展望台が276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動している[37]。塔の支点の下には、水平に保つためのジャッキがある。

1583: 2023/09/26 21:20
建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、1930年に米国ニューヨークにクライスラー・ビルディングが完成するまでは世界一高い建造物であった。1957年、アンテナなどを設置して約321mとなった。2000年に放送用アンテナを設置して約324mとなった。

2022年3月15日、ヘリコプターを使って新たに地上デジタルラジオ放送用アンテナが設置され、約330mとなった[38]。

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