後世では「鉄の貴婦人(La Dame de fer)」と称えられる[4]エッフェル塔であるが、建設当時としては奇抜な外見のため、賛否両論に分かれた。1887年2月には、建設反対派の芸術家たちが連名で陳情書を提出している[18]。反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったが[19]、その理由として「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っている。ここから、「エッフェル塔が嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれた。
万博の会期中には、2階に『フィガロ』紙の編集室と印刷機が設けられ、毎日『Le Figaro de la Tour(フィガロ・エッフェル塔版)』を発行していた[23]。会期中にエッフェル塔を訪れた著名人としては、イギリス皇太子であるエドワード王子や、大女優サラ・ベルナール、バッファロー・ビル(彼の『ワイルド・ウェスト・ショー』は博覧会の目玉の一つだった)、トーマス・エジソンなどがいた[22]。
春のお彼岸とは、この春分を中心とした前後3日を含む合計7日間。秋のお彼岸は、秋分を中心にした3日間を含む合計7日間を指します。
エッフェル塔は大盛況となり、11月8日の博覧会終了までの入場者数は1,896,987人[28]、1889年の入場者数は200万人を記録した[29]。
2022年3月15日、ヘリコプターを使って新たに地上デジタルラジオ放送用アンテナが設置され、約330mとなった[38]。
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